儒教・道教・仏教の相互作用
三教の衝突
- 西晋の王孚が仏教批判のため書いた『老子化胡経』で登場
- 後漢に書かれた牟融の『理惑論』でも仏教を老子・孔子の教えに対応させている こちらは仏教を受容しやすくするための策だったとも
- 『清浄法行経』 作者不明 仏教を儒教・道教の下位に置く風潮に反発し老子・孔子・顔回が仏陀の弟子だったと主張(三聖派遣説) 摩訶迦葉を老子、光浄童子を孔子、月明童儒を顔回に対応させる
神滅不滅論争 『沙門不敬王者論』で展開されたものが有名
- 霊魂の輪廻を信じる仏教と中国の伝統的死生観との衝突
- 范縝 『神滅論』で肉体と霊魂の同一性を主張 蕭子良や蕭琛の『難神滅論』、沈の『難范縝神滅論』などで非難を受ける 最終的には梁の武帝からも非難を受ける
- 仏教側の主張は『弘明集』に詳しい
夷夏論争 宋の顧歓が主張
- 夷の教え(仏教)も夏の教え(道教)も道を同じくしているが中国の風俗のほうが優れており仏教は不要
- 仏教の浸透していた知識人階級から強く反発される 謝鎮之の『折夷夏論』、朱昭之の『難夷夏論』、朱広之の『疑夷夏論』など 慧通も清浄法行経を持ち出し『駁夷夏論』を唱える
- 僧敏は戒華論(胡華論)を主張 中国は辺境(胡)にすぎずインドが中心(華)である
韓愈の廃仏論
牟子理惑論 後漢の牟融が唱えたとされるが魏・晋の頃に提唱されたとも言われる
宋代以降には三教帰一・三教一致の傾向が強まる
- 華厳経にも世界を理と事で説明する理論(四法界説)がある 世界に対する視点を空の思想たる理と具体的な物事たる事で認識を分類し事法界・理法界・理事無疑法界・事事無疑法界に分ける
- 道教の気一元論も背後に道の存在を置いているので二元論と捉えられる
- 四法界説の理、気一元論の気をとってできたのが理気二元論とも考えられる
禅 本来の仏教では数億年に一人程度しか悟りを開くことはできないが中国には悟ったとされる人間が大勢いる